播州織の誕生と転機

 天明8(1778)年、京都御所の大火により、再建工事に加わるため播州の大工、飛田安兵衛が訪れた京都で西陣織と出会ったのがはじまりでした。

 播州の織機は、低く腰を降ろし操作する平機で生産性が悪く、それに対し西陣では腰掛が高く楽な姿勢で織れ、能率の上がる高機が使われていました。そこで安兵衛はこれに着目し、京都滞在中に織機の構造を研究し会得して播州に帰郷したことから播州織が伝わりました。

 緑濃い山並みと平野を二つに割る120Kmもの県下最大長河川、加古川。その良質で豊富な水資源こそが染色に適し、先染めをして織る播州織にとって、不可欠となる最高の立地条件でした。

 それから産業が幅広く進み、大正12(1923)年9月、関東大震災で貿易港が横浜から神戸にシフトされ、それによって播州織の輸出転換への転機となりました。